富松篤 アーティストトーク 聞き手 おおくにあきこ
2025年5月にスタートした富松篤展「森のまなざし」。石巻からたくさんの流木を運び込み、最初の4日間で公開制作が行われました。森そのものを体現しているような天井いっぱいに制作された「私をみつめる森」の完成を記念するアーティストトークが5日目に行われました。このインタビューは、アーティスト自らが作品について語るギャラリートークの抜粋に加筆したものになります。聞き手は、ツォモリリ文庫のアートディレクターで、ラダックの芸術祭のディレクションも手掛けているおおくにあきこです。

ひたすら今を生きる彼らの目。
そのまなざしの中では決して嘘はつけない。
おおくに:富松さんは、宮城県牡鹿半島にアトリエを構えていらっしゃいました。今回の作品たちもそこで制作されたわけです。私は2024年に最初の展覧会を開催する際にまず、アトリエを拝見したくて牡鹿半島に伺いましたが、そこは海と森に囲まれ、夕刻になると鹿の群れが目をキラキラさせている。本当に野生が近くにある場所だと実感したのを覚えています。
富松:2016年に東京から石巻に移住しました。被災地に移ったのだということを声高に言うつもりはありません。漠然とした動機だったんです。けれど、そこで漁の手伝いをしたり、祭りに参加させてもらううちに、鹿を撃つ猟師の方たちとも付き合うようになり、命と真剣に向き合うということを考えるようになりました。
おおくに:東京では人物の木彫をしてきたと聞いていますが、そんな富松さんが、流木で鹿を作ったのはどうしてだったのでしょうか。
富松:たまたまアトリエのそばに美しい流木がたくさん流れ着く浜がありました。これを素材に何かできないだろうかと思っていたある時、ナイフを渡されて一頭の鹿を解体して食べる機会がありました。その心臓をいただいた時、身体がカッと熱くなって、その命が流れ込んできたように感じました。その時、この命を形にしよう、作らなければ、と思ったんです。

おおくに:富松さんの鹿をネットの中で拝見して、北インド、ヒマラヤのラダックでの芸術祭にぜひ、お呼びしたいと思いました。その先駆けとなる企画展として、2024年5月にツォモリリ文庫で展覧会を開催していただきました。そして今回までの1年。その1年の間にラダックでは、氷河から溶け出して漂着した流木などを用いてヤクとアイベックスを制作してくださいました。まさにタイトルが表しているように「導きの森」としての「ヤク」でした。そこからの今回の富松篤展「森のまなざし」へとつながりました。
富松:ラダックでヤクやアイベックスに出会ってから、動物のまなざしがずっと頭から離れなかったんです。動物が見てるものって何なんだろう、その先にあるものは何なんだろう、何を見て、何を感じているんだろう、とずっと思い続けていました。その問いの答えが今回の作品たち、「森のまなざし」なんです。
おおくに:富松さんは「ヤクやアイベックスと出会って」と当たり前のようにおっしゃいましたが、ラダックに行けば必ずヤクに会えるとは限らないし、まして野生のアイベックスに会えたのはとても稀なことなんです。創作者として、持つべきものを持っている人なんだと感じました。
富松:彼らに会って、彼らのまなざしに出会えたことは本当に幸運でした。感じたのは、動物の目はただ今を生きている者の目だということ。過去の後悔も未来の不安も全くなくて、今をひたすら生きている。それ以外の何もない。そんな彼らのまなざしに晒されると、自分の中をまっすぐ純粋に見られていると思えてきて、もう何も嘘をつけない、そんなふうに思えてきます。
おおくに:彼らのまなざしへの畏怖と敬意が富松さんの作品の根底にあって、それが私たち鑑賞者にも否応なく伝わってくる。だから、深い感動を呼ぶのだと思います。

森に棲まうモノたちから、
本当にそれでいいのか、と問われた気がして
富松:今回、石巻で制作した一番大きな「森のまなざし」という作品にはちょっとしたエピソードがあります。3月くらいに、展覧会告知のためのDMやポスター用の写真が欲しいということで、出来上がった作品を僕のお気に入りの沢べりに持って行き撮影しました。今皆さんの手元にあるDMがその時の写真です。よく見比べると分かると思うんですが、ここにある実物とDMでは、角と顔の部分が少し違うんです。実は写真を撮り終わった後に作品が倒れてしまって。ちょっと小高いところに置いて下から撮って、撮り終わったら、ぐらっとして持ち堪えられずに沢に落ちてしまい、顔の部分と角の部分が壊れてしまいました。「うわ、やってしまったー」「どうしよう」と思ったのですが、次の瞬間、森に棲まう者たちから、「お前、本当にこんなのでいいのか」と言われた気がしたんです。そうか、と思い、顔も角も作り直して、今の姿になりました。今までそんなことは一度もなかったんですが。でも、結果、いい形になったかなと思います。

おおくに:確かにDMの鹿は角が上に長く伸びていますが、この作品には無数の角が縦横無尽に生えていて、ただならぬモノの風格があります。今回、もう一頭の仔鹿「骨の奥まで届く目」に関しても、決してすんなりではなかったと聞いています。
富松:この作品は、鹿の等身作品として一番新しいものになります。いつも通り作り始めたんですが、自分の中で納得できなくて。実はその時、言葉として「死」というのがずっと頭にあったんです。きっかけは、今年の2月に参加した韓国の「バガットアートエキシビション」でした。二つの大きな川が交差する公園の中での展覧会です。制作場所と展示場所を決めるために歩いている最中に、コラニという朝鮮半島特有の小さなシカ科の動物の死骸に遭遇しました。大きい木の根っこのそばにひっそり倒れていたんです。それを見たときにこの子を作らなければ、ということを思いました。半分白骨化していて、まだ肉や皮が残っている状態でした。石巻でも鹿の骨や死骸はよく見ていたんですが、異国で遭遇したそれは、妙に生々しく、そこに棲んでいたものの生きてきた姿を思い、さらにその死までを目の当たりにして、ものすごく強烈な印象として焼きついた。そこの土地に生きてきた姿をイメージしてその土地の枝を拾って制作しました。作っている最中、この生きた姿は、当然のように死を内包している。その生と死をもっと明確に表現できないか、表現する方法がないかと思うようになりました。
そんな中でこの仔鹿の制作に取りかかったんです。アトリエの中にバーっと山のように流木が並んでいる中に、偶然、鹿の顎の骨がありました。最終段階で、それをスッと入れると、形も大きさもあまりにもピッタリで。ここにあるべきものなんじゃないかって思えました。これはこのまま行こう、行ってみようと。
意図して作ってきたわけではないけれど、ちょうど顔の左側はドクロのように目の部分が陥没しているし、反対側はちょっとまだ肉が残っているようにも見える。自然と「生と死」という言葉が浮かんでくる作品になりました。


けれど、いざ搬入という日。車にこの作品と流木を積んで車を走らせて来たんですが、助手席のシートを倒したときにこの子の顔がずっとこっちを向いているんですよ。車を運転しながら、「本当に骨でいいんだろうか」「このままやってしまおうか、どうしようか」「今からでも遅くないから顎の骨を取って流木に付け替えようか」などと悩みましたね。悩みながら5時間。到着した瞬間に思ったのは、夜のアトリエで骨をはめてみた時の感覚と自分の中に起きた感動に間違いはないから、それに正直になろうということでした。それに、一つの挑戦として、やっちゃいけないことは何もないはずなんです。同じ浜に流れ着いた流木が、樹木が生きてきた痕跡だったら、動物が生きてきた痕跡は骨だろうと。この展覧会の開催が決まった時、おおくにさんと、1年経って開催するのだから、違う形に挑戦してみたい、と話しました。今となっては、やってみてよかったなって思います。
ミッシングピースがピタッとハマるように
流木たちがそこに当然のごとく存在している
おおくに:その骨がたまたまそこにあった、そしてぴったりあった。ミッシングピースを見つけたみたいに。もしかしたら、骨が「自分をそこにつけてください」みたいな感じだったのでしょうか。
考えてみたらこの作品を構成している流木一本一本が、なぜそこにあってここについたんだろう、って不思議に思えてきます。
富松:すごく不思議ですよね。全然合わないときは合わないし、だけどこれがついたらこっちが合ってくる、こっちがついたらこっちが合ってくるっていうように制作が急に進むことはしばしばです。
おおくに:おもしろい感覚ですね。ラダックでもヤクを作ったりアイベックス作ったりしている時に、ラダックまで来たのはいいけど、もう全然合わないのしかないじゃないか、というように困り果てることはないんですか。
富松:大丈夫でしたね。流木一つ一つを見ているだけでは進みません。全体を見ながら、時に抜き差ししながら進めていくと、絶対に使うことはないと諦めていた流木がピタッとハマってきたりすることがあるから不思議です。
おおくに:そのことを一番感じたのはやっぱりこの作品ですよね。「私をみつめる森」という、できあがった次の日にタイトルをいただきました。最初にトラックからたくさんの流木を下ろして、周りにバーっと置いて、そこから始まりました。よくここにある耳のような流木が拾ってあったなとか、口元に牙みたいな形の流木が来てるな、とか。すごい不思議なんですけれど、公開制作で見ていると、まるで富松さんにとってはその流木が運び込まれていることが当たり前。当然のごとく流木が存在している。
富松:石巻のアトリエは浜が近くにあるから、足りなかったら拾いに行けばいいわけです。しかし、東京のギャラリーでの公開制作ではそうもいかず、最初に運び込んだ材料がすべてです。
実はこの目の部分の流木はこれにしようと拾った時から決めていました。公開制作する上で、この首から上の部分だけにしようっていうのは、石巻にいるうちから決めていて、数年ぶりに「公開制作のためのドローイング」を描いたんです。木炭紙に木炭で描いた、いわゆる木炭デッサンの手法で描きました。森に棲まう者からのまなざし。こちらの全てを見通すような大きなまなざしを作ろうと思っていました。

おおくに:私たちは、そういった森の主のような目に見えない存在や野生の存在から、いつの間にか遠くかけ離れてしまったように思います。富松さんの作品はそのことを、私たちのDNAに訴えかけて、呼び覚ましてくれるように思うのです。
富松:ラダックでヤクを作っている途中で、ツォモリリ湖周辺に住む遊牧民の生活に触れる機会がありました。実際に遊牧民の方とお話をすることができたのですが、ヤクという存在について話してもらったとき、「僕たちはこのヤクたちを連れているわけじゃない。僕たちがヤクに連れられているんだ」と言うんです。その言葉を聞いたときにガーンときた。当たり前のように、ヤクを連れていると思っている僕たち人間って、えらい傲慢なんじゃないか、と。それ以降、その遊牧民の方たちの感覚を大事にして制作をしようと思いました。
