ディビン・ティラカン展 開催にあたって

 

昨年9月、インド、ムンバイのギャラリーで「漆と絵師」という展示会を開催している最中のこと。親しくなった若いアーティストたちがひとつのニュースで盛り上がっていました。「LGBTQといったマイノリティたちが愛し合うことを罰する法律は違憲である、という判決が出た」と興奮気味に言うのです。彼らが旧弊な体制に抗議する作品展を開催している最中での判決でした。

旅をしていると、ヒジュラーと呼ばれる男性でも女性でもない第三の性の人々が陽気にダンスを踊る姿が目に付くインドですが、同性が愛し合えば逮捕され、罰せられるという刑法が残っていることは知りませんでした。愛することで罪に問われるとは・・・

画家ディビン・ティラカンの生まれ育った南インドのケーララ州。ケーララはヤシの島という意味です。文字通りヤシに囲まれた豊かな水の都です。海と川が入り組んだバックウォーター(水郷地帯)をのんびりゆくクルーザーやハネムーンボートは旅行者の憧れでもあります。そんなケーララですが、ディビンは、そこで起きる人々の営みを静かな目線で捉えます。どんな美しい場所にも、悲しい出来事があります。愛する権利を奪われたマイノリティ。レイプの被害者は好奇の目に晒され、被害者の非があげつらわれる。社会機構に押しつぶされるように命を絶った友人もいる。権力に固執して人々の不幸を顧みない聖職者もいる。

そのひとつひとつに静かな怒りを持ち、変えていこうと表現に挑むディビン。穏やかな青年の中に青い炎がともっているのを感じます。決して声高ではありません。けれど、豊かな自然や美しい水の流れの中に描かれた力強い決心が絵に宿っているのを感じることでしょう。妊娠した姉がやってきたときに、自分の中で何かが動き出したと言います。新しい命の尊さ、生きる意志、まだ見ぬ存在が、彼に描くことを命じたのかもしれません。

このたび、ディビン・ティラカンが初来日しています。日本と出会うことで彼の感受性にまた新たな一ページが加わるのかもしれません。そして彼の絵と対峙するとき、鑑賞者である私たちひとりひとりにも、ひとつの大切な出会いが用意されているに違いありません。

ディビン・ティラカン展 −南インド・ケーララ、精神の高鳴り−

キュレーター / ツォモリリ文庫ディレクター

おおくにあきこ