映画「ナディアの誓い」映画評 by 小栗千隼

 

ナディア・ムラドは28歳。自分とは歳が一つしか違わない。けれど、日本で安全に暮らしてきた自分には決して理解出来ない、あまりに悲惨な体験をしている。5 年前まではイラク北部、ヤーズィーディー教徒達の暮らすコジョ村の村娘であった彼女は、突如 ISIL に拉致され性奴隷にさせられる。村では多くの人々が虐殺されてしまった。映画はなんとか生還した彼女の、その後の壮絶な戦いを追う。

彼女はかつて暮らしていた村に、家族たちと再び帰るために自らの体験を語り続け、世論を動かそうと奮闘する。それがどれほど辛い想いを反復させる行為だとしても彼女は闘いをやめることが出来ない。

映画の中で彼女は、離れ離れになった家族の安否が知れないと言っていた。それはつまり、世論を動かすのが 1 秒でも遅れれば家族や仲間たちを助け出すまでの時間が伸びてしまうことを意味する。闘いの相手は ISIL でもあるが、同時に自分のような、命と尊厳の危険に瀕していない、世界中の人々の意識だ。それが変わっていかないことには、受賞したノーベル平和賞ですら、彼女にとってはなんの価値も持たないものなってしまうと思う。

彼女の悲しげでいてあまりにも強い姿を見ていると、何も知ろうとしないこと、一切の行動すらも起こさないでいることはむしろ、彼女たちを加害することに加担しているのではないかと、そんな風に思えて落ち着かない。とはいえどうすればいいのか?彼女の一挙一動からまずは何かを感じてみることにした。買い物をしたり、料理を作ったりしている彼女が束の間に見せる穏やかな表情もあれば、またすぐに、自分では推し量る事もできない苦しみに今も尚侵されているかのような無表情になる。あまりにも些細な一歩だが、彼女のあらゆるメッセージを隅々まで受け取ろうと試みる事が彼女の誓いを成就させ、その肩に背負ってしまったものを和らげることに繋がると思う。

2019-09-11 | Posted in 過去のイベント, 上映会