市橋晴菜『海の子供』展連続インタビューvol.1
市橋晴菜『海の子供』展連続インタビューvol.1 文:おぐりちはや
前回の展示、持ち運べる絵画展から一年を経て、画家市橋晴菜の絵が再びツォモリリ文庫を鮮やかに賑わせています。
作品点数は大小含め64点と前回とは比べものにならず、彼女の描いた海の生きもの達、さらには言葉に捉えることが難しい存在の数々がキャンバスを悠々と飛び越えあちこちで息をしています。
なかでも幅・高さともに2.5m越えの壁画を小柄な彼女が一人で描き切ったとは思えない。しかし画家・市橋晴菜以外には絶対描写不能な絵が瑞々しい存在感を放っている。今ツォモリリ文庫は海中の中にあるカフェのようです。
彼女が何をどう描いてきたのか、はきはき明快にインタビューに答えてくれました。
『恵比寿さん』
ー前回は山の絵を中心に描いてたけども今回は海に移動しましたよね
海に降りたましたねえ。 それは自分の物理的な体の移動でもあって…前回はたまたまインドのラダックに行って山の影響をたくさん受けていたけれども自分のルーツはもともとは海寄りで。
だから今回の展示は自分の本能に根ざしてて、本当にやりたいことが描けたかなって思っています。
ーいつも割とそうじゃないですか? でも確かに前回より色が鮮やかでカラッとしているかなぁと。
確かに今回はカラッとしてるかも、ちょっと落ち込んでる部分もあるけど…
この絵なんかは死骸を描いてるし
ー死骸?タイトルは『恵比寿さん』なのに?
そう。恵比寿さん。漂流物の神様ですね。
ーエビスビールのあの人とは違うんですか?
一緒一緒、恵比寿様は本来荒々しい神様で、だからこそありがたい存在に祀りあげて、いい感じにしておけば大丈夫だぞって部分もある。めちゃくちゃざっくり言えば。
ーあんな笑顔なのに…でも確かにあんないい船乗っちゃって爆笑してて、海で会ったら嫌ですね。恐れていたっていうのはやっぱり漂流物そのものに恐怖や畏怖のイメージがあるってことなんですかね?
うん、多分水難事故とかが連想されるし、海のほうが陸よりも人が死ぬ率が高かったんじゃないかなって、これはちょっと根拠がない想像なんだけど。ただ、ちゃんと漁ができますように、水難事故が起こりませんようにと、お供え物をしていたんじゃないかなあ。
もちろんみんなが知るように、恵比寿さん自体大漁祈願の願いが込められていたポジティブなところもあるけど、地域によっては恵比寿さんはクジラを指していたりもしていて、クジラが浜辺に上がって漂着しているのを恵比寿様といって祀っていたみたい。
ー確かに、普段見ないいきものが浜に上がってるのって凶兆として扱われてますよね、リュウグウノツカイが上がると地震が来るとか…海が科学されてなかった頃を思うと、それ自体怖いし、海からのやばいメッセージに感じるのかもしれない。
ーところでさっきから炸裂しているそういう情報はどこからゲットするんですか?
最初はネットから。そのあと古事記を読んで。結構高いんだよねえ文庫サイズの古本なのに(笑)
ーマイ古事記を持っているんですね。
恵比寿さんに対してそこまでフォーカスしたきっかけとはなんですか?
今回のテーマの漂流物そのものについて調べだして、そしたら恵比寿って言葉が漂流物っていう意味を持つんだとわかった。それから本で調べた。ネットにはヒントがあって、そこに参考文献もあるから。
ーネットから本へと掘っていくんですね。
あとは神社仏閣へいく。
御朱印集めてたりすると、その神社が祀っているものがなんなのか聞かせてくれる。この寺は閻魔様にゆかりがあるんだよ~とかね。
ー神情報集めてるんですね。それが絵に反映されていくと。
元は佐渡の婆ちゃんが神道で他の人たちと葬式や墓参りのスタイルが違うぞって気づいてそこから神様が気になり始めた。太鼓でご先祖様に存在を知らせて椿の葉を水に濡らしたりするのね。独特だと思ったのがきっかけなんです。
ーそう言えばうちも神道だけど、おばあちゃんのお葬式の時におじいちゃんが白装束で頭に草木をぐるぐる巻いててすごい焦ったというか、驚いたのを思い出しました。
えー!それすごい気になる、なんでか聞かないと!
きっと理由が必ずあるはず。伝統を実践している人たちは続いてきたものを絶やしたくない気持ちがあるから、聞けば絶対話してくれる。そういう人たちが生きている間にちゃんと聞いておかないとね。
ーちょっと反省しました。おじいちゃん、お盆にはお邪魔します。待っててください。
初回、『恵比寿さん』はここまでです。次回の記事はまた別作品にフォーカスし、8月5日まで開催中の海のこども展を盛り上げていきたいと思います。