【世界森会議の勉強会 】水博士&土博士&森の音楽家大集合SP

どうもこんにちは。ツォモリリ文庫広報担当のおぐりです。

今回の記事では2018年世界森会議に向けた7月22日の勉強会の模様をご紹介します。
題して世界森会議の勉強会 水博士&土博士&森の奏者大集合SP!でございます。


タイトル通り今回の勉強会のポイントは水、土、森といった各属性最高クラスのスペシャリストが一同に介した事につきます。

御三方ともフィールドワークを通じ、現在地球上で起こっているあらゆる変化を切実に実感しています。

平成30年7月豪雨と命名された、死者200名を超える災害の被害状況が続々と報じられているなか、今回の勉強会は開かれました。

まず最初は水ジャーナリスト、橋本淳司さんのお話。
このタイミングでまさに今、話を聞きたい人ですが…なにやら衣装を身に纏っております。
これは一体なんでしょう?勉強会という、どこかエンタメ性に欠けるイメージを見事に吹き飛ばし、ないしは水に流してくれています。

個人的にはすごくいい感じです。このコスチュームを多忙な中時間を割いてイメージスケッチから始め素材を注文し、いい大人が机に向かって制作をしていると思うとたまりません。この初期モデルが用済みになった際には落札の機会を逃してはならないと心に決めました。

話が大幅にそれてしまいましたが、橋本さんはいつも通り、とてもわかりやすくゆっくりとしたテンポで水の話をしてくれました。

日本では必要な水が、低価格かつすぐに得る事ができますが、開発途上国では1日の半分の時間を水汲みに使ったり、稼ぎの半分を水を得る費用にとられてしまう現実があります。

日本に産まれて本当に恵まれているのだと安心したいところですが、半世紀ほど経過した水道管の著しい劣化や、水道事業の民間企業運営ができる法律が衆議院を通過したりしています。この法律は価格高騰を招く恐れがあり、国際社会では見直されつつあるのですが、日本はその流れに逆行しているそうです。

このように、たやすく水が手に入る今の状況が今後も続いていくか、非常に雲行きが怪しくなってきている事を教えてくれました。

そういった不安や、この先も決して無くなる事のない水害に対し、一人一人は何が出来るのでしょうか?橋本さんは、「完璧を求めないこと」を教えてくれました。

気候変動により、水害は残念ながら今後も起きてしまう。
行政に丸投げして、完璧な対応だけをただ待つのではなく、水を治めることの矛盾や難しさを知り、システムの不具合が露呈した時に柔軟な気持ちで、しなやかに被災に対応していく事が求められていく。

それが皆にとって生きやすい社会なのかもしれません。
続いてのトークは土壌学者の藤井一至さんでした。
藤井さんが話す土の講義は隙間隙間で必ず関係のある面白ネタが挟まる事もあってか全く聞いてて飽きる事がありません。中でもお母さんネタは仲の良さが伺える事もあり、会場全体が和やかなムードで進行していました。

普段何気なく踏みしめているだけで、水とは違い触る事もなければ当然口にする事も無い土ですがこの土の種類がどのようなものかで、その国や地域の文化や人口密度に多大な影響を与えていることを教えてくれました。

むしろ土が肥沃だからこそ、そこは栄えて人口が密集していたりと、自分たちの生活や歴史、あらゆる根底に土があるのだと実感させられます。

橋本さんの話ともクロスする部分が非常に多く、いかに土と水とがセットで人間たちを生かしているのかがわかります。

当記事の筆者おぐりが胸を打ったのは、藤井さんのカッコイイ話でした。

藤井さんはインドネシアで活動する事が多く、とあるインドネシアの地で日本の電力のために石炭が掘られている場所があると話しはじめました。

その石炭を日本が買い、燃やし、電気にする。問題はこの後で、日本のとある電力会社が石炭を燃やした後に残った燃えカスの灰をインドネシアに肥料として送り返そうとし、その事の合理性と正しさについての研究をして欲しいと藤井さんに依頼があったらしいのです。

その灰は実は有害な重金属を多分に含んでおり、日本にも行き場の無い産業廃棄物なのでした。藤井さんは、電力会社に尋ねたそうです。
「その灰を日本に撒く勇気はありますか?」と、答えはNOでした。藤井さんは仕事を引き受けなかったそうです。いつもの研究費よりも桁が一つ多く心が揺れかけたと冗談交じりに話していました。

これこそ昨今稀有な存在になりつつある、リスペクトしてしまう大人です。リスペクトし過ぎたのでこの後著書『大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち』をポチろうと思います。
数値やデータに基づいた学術的な話が続き、最後に話してくれたのは、カリンバ奏者のSage(セイジ)さんです。

Sageさんが演奏し、制作するカリンバという楽器は、アフリカで産まれ、その後オルゴールのもとにもなったと言われています。親指で細い板を弾いて音をだす楽器です。


(写真;高橋圭)

Sageさんいわく、人間が定めた周波数とは少し違い、より自然の中にある音に近いそうです。森の中で演奏すると、カエルや鳥などの動物がやってきて、カマキリが踊りだしたりもするそうです。
リアルディズニーミュージカルといいますか、まるで仏陀の如しですね。死ぬまでに森の中でその様子を見てみたいなと思わずにはおられません。

そんなSageさんが話してくれたのは、自然という大きな存在の見方でした。
どちらかと言えば哲学に近いような個人的には少しSFっぽさも感じるとても好みのお話でした。

人間にとっての自然と、地球にとっての自然、その違いを善悪の基準を捨て俯瞰した時に見えてくる、自然本来の姿。

美しい森が揺らめき生き物が沢山生きている自然は、人間にとって都合のいい自然の一部に過ぎないのでは、ということ。

そんな自然とは別に、もしも地球にとって人間のいない状態こそが自然な姿だとしたら……

もしかしたら、人間という生物が本能のままに増殖し環境を破壊し自らの首を絞めて勝手に絶滅に向かっている今の現状はまんまと自然がもたらしているサイクルにはまっているに過ぎないのではないかと、Sageさんは話してくれました。

だとしたら、自分たち人間が理性的に、この自然界で生き残っていくために出来ることってなんなのでしょう? 自らを自滅に追い込まない、サイクルに真の意味で抗う人間の力がどこかにないものかと、きっとある事を信じ続けたいなと、理想なのかもしれませんが思いました。

その後は御三方によるクロストークです。
それぞれの話を受けて、今後自分たち人間はどのように自然を捉え、どのように自然とあるべきか、一面的な見方ではなく、水も土もいい部分だけを享受して怖い部分に目をつぶらず、より知っていく事が大事なのかもしれないと、まさに御三方が実践されている事の大切さを再確認した気がしました。

そしてこの後はお待ちかねのカリンバ生演奏です。Sageさんは現在カリンバの制作の方に没頭し、演奏は控えていたそうなので超貴重な瞬間です。

体の芯に響いてくる有機的な旋律がなんとも心地いいです。
自身が制作した「I’m water」という曲でした。
Sageさんありがとうございました。

最後にはツォモリリ文庫自慢の親父シェフによるカレーを食べながら参加者が思い思いの会話をしつつ、会は終了しました。

今後もツォモリリ文庫では、もう無関係ではいられなくなってきている、地球に起こっている出来事をお勉強する会が開かれます。自分で0から勉強するのは凄く大変ですし、人生を賭けて研究を続けている専門家達の話はどれも最高に面白いんです。

宜しければ、是非一度顔を出してみてください。

この記事を書いたライター

おぐりちはや
調査漫画家探偵を自称する漫画家、ライター
にしてツォモリリ文庫のビジュアル、広報担当スタッフ。
漫画とブログ記事を交配させたような記事を垂れ流し続けるブログサイト
おぐりちはやの珍chings of journeyを運営中